川西市火打に八阪神社があります。
境内にある石碑にこの神社の謂れが記されています。
延徳元年(1489)9月2日 五穀豊穣祈願の為 勤請奉祀
永正元年(1515)10月2日 今の地に移築
元文元年(1736)社殿改築
大正5年(1916)4月 境内の拡張及び御本殿の新増築に着手
同8年(1919)4月 新社殿が竣工 同時に旧本殿を現在の地に移築し末社とする
天照大神 住吉大神 春日大神を奉祀する
…という500年以上の歴史を有する大きな神社です。
この神社の境内に小さな休憩所がありますが、その中に大きな絵馬が掲げられています。
この絵馬が奉納された昭和26年当時の川西町(現・川西市)にあった著名な建物10点が描かれています。
この絵馬はこれまで、川西市の市史やその他の発行物などで取り上げられることはなく、「知る人ぞ知る」といった存在でした。
マチノキオクカンの代表の小田康徳先生からこの絵馬を知った私たちは、先生と一緒に八阪神社を訪れました。
2024年9月18日 八阪神社を訪問
絵馬奉納の経過は?
縦が130センチ、横が193センチの大きな絵馬で、枠の右側に「川西町著名建物圖」、左側に「昭和貮拾六年五月 奉納人 柴田不一」と墨書きされています。
絵馬の下部には右から順に「八阪神社沿革」「勝福寺沿革」「中学校沿革」「表彰状」が墨書きされています。
ここで注目されるのは右下の「表彰状」と、その左の「中学校沿革」です。
「中学校」とは神社がある火打を校区に含む「川西中学校」のことで、昭和22年の学校教育法の公布に基づき川西町初の新制中学校として発足しました。
開校当時は小学校を間借りしていましたが、昭和24年に独立した校舎に移転しました。
新校舎の建設には火打地区も全面的に協力し、その様子が『川西市史』第3巻に記述されています。
「川西小学校の北校舎において開校した川西中学校は、さっそく新校舎の建設に着手した。翌23年には、小戸字大塚の高台にある火打地区所有林などの提供をうけて、新校舎建設の工事が開始された。その工費735万円余、220万円の起債が認められたが、川西町民も川西中学校期成同盟会をつくって資金集めに協力した。また、工事現場にはせ参じて、地ならし工事に従事する町民も少なくなかった。
このような町民の協力によって、24年4月には新校舎への移転を完了し、6月7日、落成式を挙行した。つづいて、24年度中に392万円余(起債168万円)の校舎増築工事を、26年度には、375万円で雨天体操場兼講堂の建設工事を実施した。この新校舎は、新制中学校のために新たに建設された独立校舎としては、全国的にも早い部類に属するものであったから、25年11月3日には、文部大臣から優良施設校として表彰を受けた。」
地区を上げて学校を整備したことが文部大臣からの表彰に結びついたのでした。
そして、その表彰状の写しを絵馬に記載していることから考えると、地区住民の努力の事実を後世に伝えるためにこの絵馬を奉納したのではないかと考えられます。
奉納した「柴田不一」さんとは?
この日、私たちを案内していただいた井畑耕尚さんによると、柴田不一さんは絵馬が奉納された昭和26年ごろ、火打で大きな皮革工場を経営されていました。
神社の世話や地域のことに熱心に取り組まれていたそうです。
工場は平成の時代になって、地域の再整備(キセラ川西の開発)に伴って姫路へ移転し、今でもご長男が経営されているそうです。
絵馬に描かれた10の建物
いよいよ絵馬に描かれた「川西町著名建物」を見ていきましょう。
いずれの建物も漆喰で描かれています。
いくつかの建物は当時の写真が残されていますが全てモノクロ写真なので、建物の色彩がわかるこの絵は史料として貴重です。
川西町役場
昭和29年8月に多田村や東谷村と合併して川西市となるまでの川西町の役場で、建物はそのまま川西市役所として使われました。
現在の住所で小花1丁目8-1にあり、昭和32年に市役所が移転したのち取り壊され、今は市の複合施設「パレットかわにし」を含むマンションが立っています。
川西中学校
丘陵地に建つ3棟の校舎。
当時としてはなかなかモダンです。
川西公会堂
昭和32(1957)年に川西市が編集・発行した『市政要覧』には、「所在地 小花字藤ノ木12」「坪数 82.66」「建坪数 74.8」と記載されています。
また、『川西市史』第3巻にも、公会堂で町議会が開かれたなどの記述がありますが、当時の写真はまだ見つかっていません。
川西小学校
昭和3年に建築された、当時としては斬新な鉄筋コンクリート造の校舎。
『川西市史』第3巻より
川西郵便局
今の川西郵便局とは別の、小花字今辻5-1にありました。
北摂会社
謎の建物がこの「北摂会社」です。
道路沿いに切妻の屋根が並ぶ特徴的な建物ですが、どのような会社かはまだ判明していません。
神戸銀行川西支店
小花字藤ノ木1-2にありました。
阪急電鉄と能勢電鉄の川西能勢口駅の東口を出た辺りです。
昭和42(1967)年の住宅地図